高市、島尻、丸川各大臣=中日新聞「女性閣僚 発言で物議」って、「女性」で括るのはどうよ?

今朝の中日新聞、東京では東京新聞が同系列ですので、あるいは同様の内容で報じられているかもしれませんが、高市総務大臣「電波停止に言及」、丸川環境大臣「被ばく上限根拠ない」、島尻沖縄北方担当大臣「はぼ、何だっけ?」の三つを取り上げて「女性閣僚 発言で物議」と記事にしていました。

これって、「女性閣僚」で括らなくていいんじゃないの? といいますか、括っちゃいかんでしょう。「男性閣僚 発言で物議」なんて記事書かないでしょ。

中日新聞=東京新聞は、安保法制にしても、原発にしても、このところ安倍政権批判の旗色を鮮明にしていますので個人的評価は高いのですが、まあ新聞社ですから、典型的な男社会なんでしょうね。

島尻沖縄北方担当大臣の場合

で、そもそもの三人の内、島尻氏の「はぼ、えー、何だっけ?」はお粗末すぎて笑うしかないですし、

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丸川環境大臣の場合

丸川氏の「被ばく上限根拠ない」は、この講演内容を読みますと、むしろ突っ込みどころはそこじゃなく、「『反放射能派』っていうと変ですけれど、どれだけ下げても心配だっていう人は世の中にいるんですよ」 ってとこじゃないですかね。

政権批判するものを「反〇〇派」と「レッテル貼り」してこき下ろしたり、何かあるとすぐに民主党を取り上げてヘラヘラするという、お調子者の安倍くんの空気が自民党全体に伝染しているのでしょうが、何とも下品で知性的じゃないですね。

高市総務大臣の場合

で、問題はこの人です。発言が確信的で、これはかなり怖い感じがします。

そもそもこの話、8日の予算委員会で同様の答弁をしていたのですが、その日ないしは次の日の新聞でもあまり取り上げられていないなあと思っていましたら、野党から突っ込まれたからだとはいえ、9日に更に踏み込んだ発言をしたということです。

「電波停止」の意味合いについては、相当数の記事が流れていますので今更書くこともなく省略しますが、何が怖いかって、権力者に権力意識がないことです。その意識があれば(本当はあるのでしょうから)さらに怖いのですが、当然政治家であれば誰もが自分の信念にもとづいて発言行動するわけで、その意味では自分が正しいに決まっています。

ですが、これも当たり前ですが、政策であれ、法律であれ、ものごとにはいろんな考えがあり反対する人もいます。反対する人にとっても自分が正しいに決まっています。

今我々は、それらの折り合いをつけながらやっていく社会を選択しているわけで、権力者が、「公正」の名をかりて、反対意見を押さえつけようなんて全体主義国家のやることです。

例として、憲法九条改正に関する放送が取り上げられていますが、たとえば権力が憲法改正案を提出する場合、それは、どちらがいいですか?と尋ねる行為ではなく(国民投票を除く)、変えますよと半強制的に迫ることに近いわけで、正しくは、反対意見はありませんかと反対意見を募るくらいが権力のあるべき(そんな権力はあり得ないですが)姿です。

それに、テレビも新聞も、何を見て何を読むかは選択できます。安倍くんを好きな人は、産経や読売を読んで、フジテレビや読売テレビを見ればいいわけで、反対派は「報道ステーション」や「ニュース23」や「サンデーモーニング」を見ればいいでしょう。

民主主義といえども、選挙で権力を選択する行為はかなり曖昧で適当なものです。いざ権力を握ったら何をしてもいいわけではありません。

第一、世の中に「公正」なんてものがあるはずがありません。「公正」があるとすれば、たとえば読売と朝日が憲法九条改正で大論戦を交わして、それを参考にして個人個人が判断することが「公正」というものです。

戦前のように、朝日が安倍晋三万歳なんて叫びだしたらどうするんです?

なお、私は護憲派ではありません。