ビー・フェイユイ(畢飛宇)著『ブラインド・マッサージ』

ブラインド・マッサージ (エクス・リブリス)

ブラインド・マッサージ (エクス・リブリス)

 

ロウ・イエ監督の「ブラインド・マッサージ」を見て、面白そうと思い読んだ本ですが、もう一度映画を見たくなりました。

原作があり映画化される場合で、原作も良かった、映画も良かったというケースは稀で、期待して見に行きますと失望することのほうが多いのではないかと思います。

そんな中、この「ブラインド・マッサージ」は映画を見て、原作を読んで、また映画が見たくなったわけですから、映画がむちゃくちゃ良かったことになります(笑)。

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で、この小説です。

南京のマッサージ院で働く盲人たちの群像小説(劇)という点では、原作も映画も基本的には同じ表現方法を取っていますが、注目している、あるいは主題という点では少し異なっています。

※以下、カッコ内は小説の表記

映画ではシャオマー(小馬・シャオマー)のエピソードがプロローグとエピローグに使われるなど、かなりフィーチャーされており、彼が抱くコン(小孔・シャオコン)への欲望や風俗店(ヘアサロン)で出会うマン(小蛮・シャオマン)との恋愛模様が軸に据えられていましたが、小説では際立って重要な扱いというわけではなく、ラストのシャオマーのマッサージ店のエピソードも映画の創作でした。

ただ、第18章の小馬の章でのシャオマーとシャオマンのやり取りやセックスの描写、そしてシャオマンの感じる思いがかなり魅力的で、あるいはロウ・イエ監督はこの章に強く感じるところがあって映画化を考えたのではないかと想像させます。

この「ヘアサロン」と表記されている場所が具体的に形態のものなのかはよく分かりませんが、いずれにしても売春が行われているわけで、シャオマンは売春婦ということになります。

小蛮(シャオマン)は物語が好きだ。本当の話を嘘として語る、嘘の話を本当のこととして語る、嘘の話を嘘として語る、どれでもいい。嘘でも本当でも、女は物語が好きなのだ。物語の中で稼ぐ、これこそが肉体を売る仕事の魅力だった。

どうやら「ヘアサロン」というのは場末的なものらしく、客は労働者(ママ)が多く物語がない、けれどもシャオマーは違っていた、シャオマーとの間には物語が生まれる、といったようなことが語られ、たいていの男は事に及ぶ前の目はギラギラしているのに事が終わると濁って元気がなくなる、

だが、小馬(シャオマー)は違った。正反対で、事に及ぶ前は弱気なのに、事が終わると集中力が高まる。彼の光のない目は、ずっと小蛮を観察している。彼は「見て」いるのだ。
(略)
彼が小蛮の目の縁に触れたとき、驚くべき事態が発生した。小蛮と小馬は見つめ合った。存在しないはずの小馬の視線は透明で、しっとりして、清らかだった。

こんな感じで二人の愛(でしょう、多分)とセックスが、この後数ページにわたってかなり印象深く語られます。

 マッサージ院にも健常者は働いていますが、唯一、高唯・ガオウェイという受付担当者が登場するくらいで、客とのやり取りもほとんどなく、このシャオマーとシャオマンの章(シーン)はかなり目立っています。

ある種、盲人とそうでない者との違い、あるいは違わないことの象徴的な場面なのかも知れません。

小説は、プロローグとエピローグ、そしてそれぞれにマッサージ院で働く盲人の名前を冠した21章で成っており、日々の生活やそれぞれの夢や希望や悩みが綴られていく構成になっています。

シャオマーについても、たまたま映画から入っていることから大きく捉えて書きましたが、小説ではメインとなるのが2章、その他数章に登場する程度で、彼が軸となっている印象はありません。

映画では描かれていなかった(と思う)エピソードとしては、マッサージ院の共同経営者であるシャー(沙復明・シャーフーミン)とチャン(張宗琪・チャンゾンチー)の確執がかなり重要です。

二人は、かなり厳しい生活(出稼ぎ?)の中で友情を育み、やっと共同でマッサージ院を持つことが出来たという経緯があり、直接の記述はありませんが、シャーフーミンが語るところによれば、開院当初はどうやって経営していくかなど熱く語り合って、やっとここまできたということです。

ところが、ちょっとしたいざこざが契機となり、多分それまでの抑えてきた感情があるのでしょう、ついにシャーフーミンから別れを切り出すことになり、つまりどちらかが院から出ていき、かわりに十万元、あるいは十二万元を支払うといった駆け引きにまで諍いは発展します。

さらにシャーフーミンは常に胃痛を抱えており、ついには吐血し生死を争うほどの手術を受けることになります。

ラスト、マッサージ院の皆が病院に駆けつける中、手術は無事にすみ、シャーフーミンは何とか死だけは免れたようです。

そして印象的なシーンで終わります。 

すでに、マッサージ院からは、シャオマーが去り、親指を失ったドゥ・ホン(都紅・ドゥーホン)も去り、ほぼ映画と同じようにワン(王先生・ワン)とコンは愛し合って結婚を考えており、映画ではほとんど表にできていないもうひと組のカップル金嫣・チンイエンと泰来・タイライも病院に来ています。

皆何やら落ち着かず、それはシャーフーミンの病状だけではなく、それぞれが抱えるそれぞれの不安があるのですが、そんな中、次の描写となります。

(略)自分で掘った、自分が落下する洞穴だった。あるいは、誰もがみな洞穴なのかもしれない。誰もがみな底なしの薄暗い場所で、狂ったように叫んでいる。そう思うと、王先生は自分も落下していくような気がして、苦しさを感じた。とても苦しい。致命的な恐怖なのかもしれない。王先生はよろけた。(略)王先生は藁にすがるように、小孔につかまった。(略)彼は小孔を胸に抱き、あごを彼女の肩にのせた。(略)王先生は、前後の脈絡もなしに口走った。「結婚、結婚、結婚」彼は泣きながら哀願した。「おれたちは、ちゃんとした結婚式を挙げよう」

王先生が抱いていたのは小孔ではなく、金嫣だった。金嫣は当然気づいていたが、王先生の胸から離れたくなかった。金嫣も泣いて言った。「泰来、みんなが聞いてるわ。言ったことは必ず守ってね」

医者のうしろにいた看護婦は、この感動的な場面を目にして、盲人たちに心を動かされた。彼女のそばに立っていたのは高唯・ガオウェイ(注・健常者)だった。振り返った看護婦は高唯と視線が合った。(略)看護婦は高唯の目をしばらく見ていたが、ついに確信が持てなくなった。彼女は手を伸ばし、自分の人差し指を高唯の目の前で左右に揺らした。高唯はじっと看護婦を見つめていた。(略)

看護婦は急に悟った。彼女は、あるものに気づいた。それは視線だ。ありふれた、広範な、日常的な視線である。それに気づくと、看護婦は硬直した。彼女は恐れおののき、何かに見透かされ、魂が抜けそうになった。

畢飛宇さん、日本語に翻訳されているのはまだこの「ブラインド・マッサージ」だけのようです。