世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド/村上春樹その後5

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上下)合本版(新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上下)合本版(新潮文庫)

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2020/12/18
  • メディア: Kindle版
 

それにしても長い!し、長すぎる!

でも、まあ、そこそこいやにならずに読み切ったんだから、何かしら面白さを感じているんだろうと我ながら思う。

こうやって、長編ばかり、連続して読んでみると、はまる人の気持ちも分かるし、拒否反応を持つ人の気持ちも分かってくる。理由は簡単で、どの作品もみな同じ、全て「僕」の話であり、ひたすら「僕」が、自ら(ここ重要)自分の世界観を語っているに過ぎない。その「僕」に共有(共感)できる何かを感じる人は、好きになるだろうし、出来ない人は、「僕」の極めて自己チュウ的なところが我慢できなくなり、さらに作品の様々な欠点が気になってくることになる。

で、私はと言えば、もちろん後者だが、それでもあえて読み続けよう。

「僕」の世界観は、率直に言って、……、よく分からない。と言うより、取り立てて新鮮なところはなく(言い回しが嫌みかも?)、誰もが持つだろう、自己と世界の乖離、そこから来る孤立、空虚、そういったものだと思う。それは、人間の最も根源的な苦悩であり、有史以来、様々な分野、文学はもちろん、宗教や哲学などの思想系や音楽や絵画や映画などのアート系を主に、飽きることなく語られ、描かれ、表現されてきたことである。

その上で、村上春樹の特徴は、その苦悩を、いわゆる「苦悩」らしく描かない、「僕」は、まるで悟ったが如く、全てを理解し、引き受け、第三者的にはカッコよく生き抜く。そして、苦悩を実際に背負うのは、「僕」を取り巻く「友人」であり、「女」である。だから、「友人」や「女」たちは、よく死ぬし、皆いなくなってしまう。

この作品の時点で、村上春樹36歳。この後、現在まで25年、どう変わっていくのだろうか?

で、この作品。いくつか気になるところを羅列してみる。

そもそもプロット、と言うより基本テーマと構成に問題ありだと思う。現実世界(ハードボイルド・ワンダーランド)と「僕」の意識下世界(世界の終り)がパラレルに進行していくわけだが、当然そのパラドックスは、村上春樹流の物語を語る方法では、解決できないことは目にみえているし、書けば書くほど陳腐になってくる。

「僕」と影の設定が最も陳腐だが、そもそも意識下の世界に現実世界と同様の他者を置くこと、そして、それを語るのが現実世界と同じ「僕」の視点というのは、あまりにも考えがなさ過ぎる。

描写が単調すぎる。「僕」と「ピンクのスーツを着た太った女」の、インディ・ジョーンズ張りの地下のシーンなど、くど過ぎて読み飛ばした。

相変わらず、中途半端な投げ出しが多い。派手な登場をした二人組みの男たちの件はどうなった? システム、ファクトリー、計算士、記号士、このあたりのネーミングも適当すぎる。言い方を変えれば、このネーミングをするなら、もっとそれらについて記述すべきだ。

全体の構成を考えた上で書くタイプではないようだ。書き出しは妙に力が入っているが、次第にコミック調(?)や劇画調(?)も入り、そして先細り、ラストでは結局投げ出すような結末になる。もちろん、きっちり結末が必要と言っているわけではないが、こういった物語ものはそれなりの起承転結的な構成が必要だと思う。ラストシーン、「僕」が「世界の終り」に残るというところなど、計算された結末とは思えない。

そのあたりのことを全集のための別綴じ「はじめての書下ろし小説」に結構正直に書いている。引用するのが面倒なので、興味のある方は、講談社「村上春樹全作品1979〜1989」を読んで頂きたい。むしろ本編より、今となっては(現在にあっては)こちらの方が面白い。

羊をめぐる冒険/村上春樹その後4 – 沈黙する言葉(旧)
ノルウェイの森/村上春樹その後3 – 沈黙する言葉(旧)
1973年のピンボール/村上春樹その後2 – 沈黙する言葉(旧)
風の歌を聴け/村上春樹その後1 – 沈黙する言葉(旧)
芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか – 沈黙する言葉(旧)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)(新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)(新潮文庫)

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2020/12/18
  • メディア: Kindle版
 
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)(新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)(新潮文庫)

  • 作者:村上春樹
  • 発売日: 2020/12/18
  • メディア: Kindle版