アメリカの駒「日本」=原貴美恵「サンフランシスコ平和条約の盲点」を読む(まとめ)

原貴美恵著「サンフランシスコ平和条約の盲点」

サンフランシスコ平和条約の盲点 《新幀版》

サンフランシスコ平和条約の盲点 《新幀版》

 

「なぜ日本は対米従属から抜け出せないのか?」を考えるために読んできましたが、結局、この本は、アメリカ、イギリス、オーストラリアの公文書館の資料を元にした論文ですので、章立てが「朝鮮」「台湾」「千島」「ミクロネシア」「南極」「南沙及び西沙諸島」「琉球」と7つに分かれてはいますが、ほぼ同じ資料に依っているわけですから、当然見えてくるものはひとつで、アメリカの西太平洋戦略の中で、日本の戦後処理、領土処理がどう変化していったかということです。

その意味では、時系列で再構成したバージョンがあればより分かりやすいのではないかと思いますが、ポイントはおおよそ次の二点かと思います。。

東西冷戦による対日本政策の転換

まあこれは単純なことですね。当初は日本の軍国主義の目を摘み取ろうとした戦後処理が、東西冷戦の激化によって、敵が日本からソ連、そして中国に変わったということです。

そのため、日本を防共の防波堤とする戦略に変わり、いかに日本を西側陣営に留めるかに苦心したのではないかと思われます。

今でこそ日本の対米従属は空気のごとく当たり前に思えますが、当時は、アジア全体での民族意識の高まりや中国や朝鮮での共産党政権樹立を目の前にして、いくら戦勝国とはいえ、強権的な占領政策をすれば、日本国内の反感を買い、日本が東側陣営に取り込まれることを恐れたことでしょう。

初期条約案では、ヤルタ協定を尊重し将来紛争が発生しないように明確な国境画定が検討され、緯度経度まで明示することが考えられていたのですが、そのことによる日本国民の喪失感がアメリカへの反感となって表面化することを恐れ、徐々に領土の帰属先を明記しない曖昧なものとなっていったようです。

つまり、アメリカのアジア戦略の中で日本が中核的な地位を与えられ、講和は「厳格」なものから「寛大」なものへと変容していったということです。

その時日本に何が起きていたのか?

結局、その戦略は成功し、日本はアメリカの西太平洋における強固な防波堤の役割を担っているわけです。

ただ、戦争で占領した国を他国が意のままにするなんてことは、イラクを見ても分かる通り、そう簡単にできることではなく、アメリカにとって唯一の成功例と言われる日本であっても、単にアメリカの戦略だけではなく、日本の支配者層に何らかの意志が働いていたのではないかと思います。つまり、アメリカ従属の道を選んで生き延びるということだと思いますが、これについてはまた別の本を探さなくてはなりません。次の課題ですね。

領土紛争の楔論

なぜアメリカは竹島や尖閣について帰属を曖昧なまま残しておいたか、あるいは両国の将来の交渉に任せるといった方針をとったのか、という問題について、著者は「楔」論を語っています。

どういうことかと言いますと、領土問題というものはナショナリズムに直結しやすものですから、たとえば竹島の場合で言えば、その帰属を明記しないことで、将来朝鮮半島が共産化した場合に竹島の帰属をめぐり日本のナショナリズムを煽ることができ、結果としてアメリカ側につけさせることができるということです。

そこまで論理的に先を読むことができるかどうかは分かりませんし、竹島や尖閣を個別にその対象としようとしたかどうかも分かりませんが、領土の帰属を曖昧にしたことは、結果として、アメリカの望んだ方向へ働いたことはまちがいないでしょう。

ただ、それが現在の東南アジアの不安定な状況の元となっていることもまた事実です。

北方領土は、楔論とは若干異なりますが、それでも「ダラスの恫喝」という歴史的事例を見れば、常にアメリカは自国の利益のために日本を位置づけているということです。

さて、次は、敗戦後の日本についてですが何を読めばいいのでしょう。