散歩=古い街並みが残る旧東海道の有松、有松絞り

有松絞りで有名な有松へ行きました。

宿場町かと思っていましたら、東海道五十三次は池鯉鮒、鳴海、そして宮(熱田)と続いており、有松は、鳴海から江戸寄り2,3kmのところに、尾張徳川藩によって「諸役」を免除するので移住しなさいと作られた茶屋集落とのことです。東海道沿いのお休み処ということなんでしょうか、慶長13年(1608年)頃の話ですので、まだまだ東海道も整備途中だったのでしょう。

有松のまち 有松の誕生・絞りの誕生・町並みの誕生

有松絞りは、主に知多半島からだったようですが、そうした移住者たちによって始められ、その後尾張藩の保護で日本国内最大の産地となったようです。

名古屋市長の河村くんがよく身に着けているシャツやネクタイが有松絞りです。

名鉄有松駅、名古屋から20分くらいです。

観光案内か地図はないかと探したのですが見当たらず、駅員さんに尋ねましたら、ちょっとお待ち下さいとわざわざ冊子かパンフレットのコピーをくださいました。

駅の壁にはこんな立派な地図がありましたが、できれば観光地によくあるイラストマップのようなものがあるといいですね。

駅前の通りです。電線が地中化されています。

駅前の道路を50mも進みますと古い街並みの旧東海道と交差します。年末ですし、特別イベントもありませんので、さすがに人が少ないです。

服部邸、手前は「井桁屋」さんという絞り問屋、奥が服部良也邸土蔵と、すべて愛知県の文化財指定がされているようです。下のサイトが詳しいです。

井桁屋(服部家住宅)(いげたや(はっとりけじゅうたく))

裏に回りますとこんな三層の蔵があるのですが、これも服部家の土蔵なんでしょうか?

その三層の土蔵への行き方が分からず、しばらく探しましたが、写真のような路地を入っていきますと用水があります。今調べますと藍染川というようです。絞りの藍染からきた名前でしょう。

お昼は、寿限無茶屋といううどん、そば屋さんで自家製の梅を3年間熟成させたという梅おろしうどんをいただきました。梅ペーストよりも腰のある手打ちうどんのほうが印象に残りました。

午後は、駅からの道路との交差点から反対側へ向かいます。

唐子山車庫、他に布袋車と神功皇后車があるようです。

竹田家住宅。立派な蔵があるんですが、服部家もそうでしたが、蔵ってのはこんな街道沿いに建てるものなんですかね。金持ちであることを誇示するとか?

岡家。

小塚家、どこも同じです。

街道に交差するようにこういう路地があります。いい感じです。

なまこ壁、菱形じゃなく四角のものもあるんですね。

ということで、20年ぶりくらいに訪れた有松は、いいのかどうなのかは分かりませんが、きれいに整備されていました。