柴崎友香著『百年と一日』感想・レビュー・書評・ネタバレ

この星のどこかにあった、誰も知らない33の物語

上の見出しは「筑摩書房『百年と一日』」からの引用です。

『ちくま』2017年11月号〜2019年9月号に隔月掲載された連載『はじめに聞いた話』に加筆修正されたものが2020年に単行本化された本です。柴崎友香さんの単行本としては最新刊になるようです。

とても変わった小説です。33の物語を集めた短編集ですが、それぞれのタイトルがとても長くまるであらすじのような文章になっているのです。たとえば、ひとつ目の物語は、

一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話

筑摩書房『百年と一日』

といった感じです。上のリンク先で試し読みが出来ます。

「一年一組一番」とは高校の出席簿です。一組一番、二組一番ともに名前も誰彼と書かれはしますが、一貫して表記は「一組」「二組」です。他の物語でも、一部名前表記もありますが、ほとんどが「男」や「女」、あるいは姉、兄、母、店主、少年などといった普通名詞で語られていきます。

固有名詞を使わず普通名詞で語られていくことで、たしかに、誰かもわからないし、どこかもわからないけれども、きっといつかどこかであったことに違いないと思えてきます。

凝縮する時間

このひとつ目の物語でもおよそ30年という月日が経っています。なかには100年というスパンの物語もあったと思います。どんなに長い時代の話でも時代がぴょんぴょんぴょんと飛び跳ねるように語られていきます。時代をさかのぼっていく話もあります。そこには家が建っていた、その家を建てたのは誰彼、その誰彼はどこどこからやってきたみたいな感じで語られます。

簡潔な文章でそれぞれの時代は詳しく語られるわけではありませんが、そのひとつひとつが現在起きていることであるかのように時間が凝縮されて感じられます。おそらく記憶の感覚でしょう。ノスタルジーが時間を感じさせないのだろうと思います。どの話もどこか懐かしく感じられます。

俯瞰する感覚

柴崎友香さんの著作で読んだものは、芥川賞受賞作の『春の庭』、映画を見て読もうと思った『寝ても覚めても』、たまたま手に取った『きょうのできごと、十年後』、そのつながりから読んだデビュー作『きょうのできごと』、そしてタイトルに惹かれて手に取ったこの『百年と一日』です。

『春の庭』や『寝ても覚めても』で感じたことに「俯瞰する意識」のような感覚があります。この『百年と一日』にも感じます。時間のスパンが年単位ということもあるのでしょうが、描かれる人物が匿名であったり、場所が特定されない描写がよりそうしたものを感じさせます。

言うなれば、「日常世界のクロニクル」のような小説です。

最後の物語のタイトルは

解体する建物の奥に何十年も手つかずのままの部屋があり、そこに残されていた誰かの原稿を売りに行ったが金にはならなかった

筑摩書房

という話で、時代をさかのぼっていきます。

10年間放置されていた4階建ての建物が解体されることになり、解体業者が灰色のドアの奥の部屋を見つけます。二間のその部屋はきちんと整えられ、ベッドは起き抜けの形をとどめたままになっています。ただ埃は積もっています。

解体業者は50年以上前の日付の書かれた紙の束を見つけ金になるかもと古本屋に持ち込みます。古本屋はただのゴミだねと答えます。

40年前、その部屋を使っていたのはその建物の所有者の次女です。その次女が子どもの頃、その部屋は中学校で生物を教えている女教師の間借り人が使っており、石や昆虫に興味を持つ次女が鉱物を研究する大学へいきたいという願いをかなえる手助けをしてくれたということです。その教師は結婚を機にその家を去る時、次女に「忘れないように書いていたんだけど、忘れないっていうことがわかったから、もう書かなくてもよくなった」と言って紙の束を置いていったのです。

その女教師がその部屋に住み始めたのは、戦争が終わって数年後のことです。外国に避難していたその女は紹介されてその部屋に住み、一年後に中学校の教員の職を得ます。そして、覚えていること、もともとその街は自分が家族と暮らしていた街ですので、戦争が始まったこと、隣人同士で疑心暗鬼になったこと、爆撃機が上空を飛んでいったこと、戦場へ行った幼馴染が死んだことなどをどんどん書いていきます。

戦争の前、その部屋には足の悪い男が住んでいました。男は経理の仕事をしており、模型を作るのが趣味でした。小さな箱の中に街を作っていました。戦争が始まり、男は足が悪いせいで兵士にはなれず、田舎の母親のもとに帰っていきました。

建物の解体は、滞りなく進み、二週間で更地になった。古本屋に引き取られなかった原稿は、解体屋の男が家に帰る途中で捨てた。

日常世界のクロニクル

ふっと浮かんだ見出しですが、「日常世界のクロニクル」、ピッタリするコピーのような気がしてきました。