温又柔著『真ん中の子どもたち』感想・レビュー・書評・ネタバレ

2017年上半期の芥川賞候補となった温又柔(おんゆうじゅう)さんの小説です。

温又柔さん、宮本輝氏の批評に怒る

台湾人の母と日本人の父を持つ日本育ちの琴子が上海へ語学留学する話です。

ウィキペディアによれば、温又柔さんは「台湾・台北市生まれで、3歳より東京都で育つ。両親は台湾人」ということらしく、そうした本人の出自がベースになっていると思われる小説です。

温さんってどんな人かとググっている際にヒットしたこのNHKの記事によれば、上海への留学も温さん自身が経験していることのようです。

で、この記事の中に、ある文学賞で選考委員から受けた批評にショックを受けたというくだりがあり、その批評がこれです。

批評の内容は「当事者たちには深刻なアイデンティティと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって同調しにくい。なるほどそういう問題も起こるのであろうという程度で他人事を永遠(延々:引用先の誤記)と読まされて退屈だった」というものでした。

これ、芥川賞の選考委員の宮本輝氏の批評です。

この批評に対して温さんはツイッターで反論したそうで、NHKの記事にはそのあたりのことも詳しく書かれています。

この宮本輝さんの選評は批評になっていないですね。端からはねつけるような言い回しですし、日本人を持ち出すのも、この『真ん中の子どもたち』が書こうとしていることを真っ向から否定することになります。

考えてみれば、作家イコール批評家というわけではありませんので文学賞の選考委員も半分くらいは文芸評論家にしたほうがより時代性が反映されるかもしれません。

アイデンティティと向き合うこと

琴子がなぜ語学留学することになったかは、19歳になり母の国の言葉を真剣に学びたいと思ったからということです。両親は台湾で結婚し、母が25歳、琴子3歳のときに父親の仕事の都合で日本に移ってきています。幼い頃の家での会話は中国語だったらしく19歳の現在でもある程度は理解できるようです。

ただ、それがどの程度なのか具体的にはよくわかりません。どういうことかと言いますと、小説のほぼ9割はひと月程度の上海留学の話になっており、登場する人物も日本の漢語学院から一緒に留学した人たちであり、場面の変化も少なく、留学先の学校でのかなり微妙な発音の問題であったり、同室となった友人との話であったりします。つまり、それこそ同質の人々が集まる狭い世界のかなり内向きな話に感じられるということです。

宮本輝氏の批評は、表現はまったく適切ではないのですが、こういうことを言っているんだろうと思います。さらに言えば、確かに当事者たちのアイデンティティがテーマであることはわかりますが、当事者以外にも伝わるところまで掘り下げられていないのではないかということです。

つまり、自身のアイデンティティに向き合っているというそのことだけをいくら言ったしても、そのことによって起きたことや起きていることを語って伝えようとしなければ、当事者にしかわからないことで終わってしまいます。

たとえば、この小説は、日本語表記の中に漢文やその読みがカタカナやひらがな入りますし、人の名前も漢字に日本語読みや中国語読みが入り混じったりします。混乱するわけではありませんが、時々、ん?と思考が途切れることがあります。こういう感覚は、バイリンガル、あるいはトライリンガルの温さんには感じられないことでしょうし、おそらくそのことには無自覚なんだろうと思います。

同質の人々の狭い世界

登場するのは同室となる呉嘉玲、母親が日本人、父親が台湾人です。琴子はリンリンと呼ぶことになり、琴子はミーミーと呼ばれることになります。そしてもうひとり、両親ともに中国人で、本人は日本育ちの龍舜哉、りゅうしゅんやです。

ほぼすべてこの3人の間の話と学校の先生である陳老師との話が書かれています。

まだ読み終えて1週間ほどしか経っていないのですが、正直なところ、あまり多くを思い出せません。いま手にとってぱらぱらとしても、ああここではこんなことがあったといった画が浮かんできません。

変化や動きがないわけではなくそれが伝わってこないのだと思います。たとえば、琴子は日本に恋人がいますが、しゅんやと付き合うようになります。具体的な記述はありませんが男女の関係になります。日本に帰る段には、日本の恋人に迎えには来ないでとメールします。琴子にとってかなり大変なことのように思いますが、さらりと流されて琴子の内面などは何も語られません。

おそらく作者である温さんにはこの小説の中では重要なことではないのでしょう。

重要なことは、琴子が、日本では自分を異質な存在と感じ、じゃあその異質さとは何かを考えようとして上海に来たものの、言葉の微妙な発音で中国人とは認められないと感じたり、かといって台湾人と主張しようにも台湾という国は存在しないと言われてしまうという宙ぶらりんさを感じているそのことを書いているのだと思います。

逆説的に感じる自身の異質感

逆説的ではありますが、この小説からは、琴子、ひいては温さんが感じてきたかもしれない自分が異質だと感じるその感覚をちょっとだけ感じることができます。

この小説を読んでいますと、中に入れない感じを受けます。少し自身の問題から離れたほうがいいように思います。そうじゃないものがあればもう一冊読んでみようと思います。