吉川惣司 矢島道子著『メアリー・アニングの冒険』

映画「アンモナイトの目覚め」を見て知ったメアリー・アニングさん、映画でも一応化石収集家として描かれてはいますが、テーマは一貫してレズビアンというセクシュアリティを追った映画になっていました。

実在した人物なのにこんな一面的な描き方でいいのかなあと疑問が生まれ、いろいろググっていましたら「メアリー・アニングの冒険」という伝記本があり、なんと! それも翻訳ではなく日本で出版されているものでした。

メアリー・アニングの冒険 恐竜学をひらいた女化石屋 (朝日選書)

メアリー・アニングの冒険 恐竜学をひらいた女化石屋 (朝日選書)

  • 作者:吉川惣司,矢島道子
  • 発売日: 2016/11/07
  • メディア: Kindle版
 

メアリー・アニング

メアリー・アニングさん、私は知りませんでしたがわりとよく知られた人のようです。 

児童書や漫画にもなっています。

メアリー・アニング (コミック版世界の伝記)

メアリー・アニング (コミック版世界の伝記)

  • 発売日: 2018/08/01
  • メディア: 単行本
 
化石をみつけた少女―メアリー・アニング物語 (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

化石をみつけた少女―メアリー・アニング物語 (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

  • 作者:キャサリン・ブライトン
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: 大型本
 

メアリー・アニングさんは1799年、イギリス南部のライム・レジスというところで生まれています。

ここです。 

 

ライム・レジスは「ジュラシック・コースト」という世界遺産に登録されている海岸線に含まれています。

ジェーン・オースティンの『説得』の舞台となっている町とのことで「待ち焦がれて」という映画にもなっているそうです。いずれも読んでいませんし見ていません。

それともうひとつ、「フランス軍中尉の女」という映画ではメリル・ストリープが演じている女性はメアリー・アニングをモデルにしているという記述もあります。また、こちらもジョン・ファウルズの同名の原作があります。

という町でメアリーは生まれ、12歳の時にイクチオサウルスの全身化石を発掘しています。1811年のことです。

Rhomaleosaurus & Mary Anning plaque NHM
User:Ballista, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
ロンドン自然史博物館に展示されているプレシオサウルスの化石とアニングの解説文

メアリーはその後も化石採集を続け、1821年、22歳の時にプレシオサウルスの骨格化石の初めての発見し、1828年にはディモルフォドンの全身化石を発見しているそうです。

ただ、時代が時代なだけに、労働者階級であり、また女性であるメアリーが研究者という地位を得ることはなく、市井の化石採集家ということで済まされていたということです。

メアリーは乳がんのために47歳で世を去っていますが、その数か月前にロンドン地質学会の名誉会員に選ばれているそうです。(ウィキペディア

メアリー・アニングがどんな人かを簡単に知るには Google Arts & Culture が便利です。

資料データは研究書なみか 

実は、この本、ざっとしか読んでいません。個人の感覚ではあるのですが、資料データと著者の推測的な記述が混在して焦点が絞りにくく読みにくく感じます。

実際、資料データの発掘にはかなり労力が払われている印象を受けます。ただ、直感的にですが、著者吉川氏のメアリー・アニングを世に出したいという強い思いが空回りしているように感じます。

あとがきで著者の吉川惣司さんがこんなことを書いています。

筆者の一人である吉川は、故手塚治が創立した虫プロダクションに入社し、国産初のTVアニメ『鉄腕アトム』で出発していらいアニメーションを生業として、いまも放送作家、演出家で、ときに舞台演出もするというアカデミズムからもっとも遠い輩である。
それがなぜメアリーについて書くのかうさん臭く感じられようが、この仕事をしていれば「宇宙ものを書かないか」とか「恐竜ものを」などともちかけられ、自然科学一般に親しくなっているものである。メアリー・アニングに目をとめたのは九年前で「初めてイクチオサウルスを発見した少女?こりゃいい話になるかも」と直感した。アニメの企画書くらいにはなるだろうという、きわめてよこしまな動機であった。

私はこういう文章を書く人はいやですね(ペコリ)。卑屈さと高慢さが同居しています。

さらに、共著者である矢島氏(古生物学者、科学史家、理学博士。日本科学史学会全体委員、日本地質学会理事)をどこか見下すような言い回しで書いています。

こうしたところがこの本の焦点の曖昧さになって現れているように思います。