金原ひとみ著『ミーツ・ザ・ワールド』感想・レビュー・書評・ネタバレ

金原ひとみさんは本当に心の奥底からほとばしるような文章を書きます。

金原さんの小説を読むのは3年前の『アタラクシア』以来です。ウィキペディアを見ましたらその間に3冊も出しています。過去に私の読んだ中には『TRIP TRAP/トリップ・トラップ』なんてかなり雑な(ペコリ)ものもありますのでなんとも言えませんが、あまり書くことに苦労しないタイプの作家なんでしょう。

この『ミーツ・ザ・ワールド』も書き始めたら止まらないみたいな文章が続きます。ですので、実際にはどうかはわかりませんが、著者自身の体験や本音が相当入っているように感じることが多いです。

腐女子の由嘉里、キャバ嬢ライと出会う

三ツ橋由嘉里、銀行員、27歳、恋愛経験のない腐女子の物語です。腐女子が BLオタクという意味であれば、由嘉里はそうではなく『ミート・イズ・マイン』という焼肉擬人化漫画オタクです。そんな漫画はないだろうと「meat is mine」でググりますと「Your meat is mine」というタトゥー関連のサイトがいっぱいヒットします。よくわかりませんがタトゥースタジオの名前なんでしょうか。そうしたところからのネーミングかもしれません。

由嘉里は自分を社会からの目によって自分がどうあるべきかということを自己規定している人物です。たとえば、腐女子であることは恥ずかしい(ちょっと違うけど…)ことであり人に自慢できることではないと思いこんでいます。自分が本当に望んでいることかどうかはっきりしないまま、恋愛もしてみたい、結婚もしてみたいと、それが単なる数合わせであることがわかっていても合コンに参加したりします。

そして、人生2度めの合コンで同僚から腐女子であることをバラされ、悪酔いして歌舞伎町の路上でゲロしているときにキャバ嬢の鹿野ライと出会います。

由嘉里が美しいライに、あなたのようになりたかったとつぶやきますと、ライは、300万あればなれるよ、300万あげようか、と言い、さらに、あんたが私の顔になって私になったらいい、といいながら、由嘉里を自分のマンションに連れて帰ります。

最初の数ページ、ええー、金原さんは喜劇を書くようになったのか?!と驚きました。これ、おもしろいです(笑)。

ライはニヒリスト、精神的アナキスト

ライのマンションはゴミ屋敷です。この設定も意表をついていておもしろいです。

ライは、「自分は死ぬの、自分にとってはこの世界から消えているのが自然の姿」と言い、「体が死んでも、魂が残るっていう考え方ですか?」と尋ねる由嘉里に

ううん。形も魂もない。それが私のあるべき姿。消えているのが私の本当の姿。私が消失したら、私はようやく私の存在を認められる。

(19p)

と答えます。

ライの気持ちを理解できない由嘉里は説得を試みます。しかし、ことごとく跳ね返されます。跳ね返されるというのはちょっと違いますね。無力化されるといいますか、由嘉里が信じている(思い込んでいる)ある種の社会規範が相対化されてしまうような感じです。

ライは完全なる自由人ということです。ニヒリストとも言えますし、精神的なアナキストです。

そして、二人の同居生活が始まります。由嘉里は、ライに生きがい、生きる希望を持ってもらいたいと思い、そのことで「自分の中に何か、エネルギーが滾っているのに」気づきます。

由嘉里の婚活、歌舞伎町の人々

中盤は、合コンで出会った男からLINEが入り由嘉里がリアルな恋愛に踏み出すかという話と、ライとの同居によりそれまで無縁だった歌舞伎町の人々との出会いが描かれていきます。

由嘉里は、男からのLINEの文章に「もし良かったら」がかぶっているだの、文章がこなれていないだのと文句をつけながら、自分もその文章をメモにコピペして幾度も読み込み返信文を書きますが思うようにいかないというダサさです。結局、ライに経緯を話しますと、貸してみと言われてスマホを渡しますとそのままちょいちょいと打って返信されてしまいます。

由嘉里は引っ込み思案でも人見知りでもありません。逆です。まあ、小説ではあるのですが(笑)、ライとのやり取りでも平気で突っ込んだことを聞いたりしますし、どちらかといいますとおせっかいタイプです。地の文は由嘉里の一人称で書かれており、とにかくすごい勢いで言葉が溢れてくる印象です。そこが面白い小説ですの由嘉里の心情を説明することは結構難しい小説です。

とにかく、由嘉里のリアルな恋愛は、一度目は互いに相手が望んでいるだろう自分を演じる、つまりは今どきの社会規範に沿おうとすることで疲れるだけに終わり、それでも再び誘いが来ての二度目のデートでは、たまたまその店にライたちが来たことから、由嘉里が殻を破って本音で話し始めれば、相手の男も実は僕も恋愛経験は少なく前の彼女が忘れられないのですと話し始め、そのことが理由というわけでもなく由嘉里のリアルな恋愛はひとまず終わります。

結局このくだりはサブストーリーであり、メインはライの周辺の人物との出会いとライに生きていてほしいと願う由嘉里の空回りの物語ということです。

アサヒというホストと出会います。アサヒは自ら自分はナンバーワンなんだと自慢する「虚飾にまみれた感じ」のホストですが、物事をストレートに感じストレートに反応する人物です。この人物もうまく説明できません、読んでください(笑)。本人がこう言っています。

「奥さん今日もおっさんとデートしててさあ」
「えっ、アサヒさん奥さんいるんですか? 奥さんがおっさんとデートしてるってどういうことですか?」
「うちの奥さん、おっさんと寝て俺のことナンバーワンにさせてるんだよ」
「どういうことですか? 私全く意味がわからないんですけど」
「うちの奥さん何人かおっさんの愛人やってて、毎月締日に来て俺をナンバーワンにさせてくんだよ」
(略)
「奥さんはナンバーワンの俺が好きなんだよ。まあいろいろあって成り行きでこの状況なっちゃったんだけどね。(略)」

(54p)

という人物です。また、アサヒは家出少女を自分のマンションに連れていくという話もします。ただ、これは後半に、実はその奥さんから家出少女を危険にさらさないように連れて帰って保護しておけって言われていると言っていました。

由嘉里はアサヒとの会話に初めて男の人と話して無邪気に笑えたと言い、合コン男の話や自分の恋愛観などを話したりと、後半はこのアサヒとの会話が多くなってきます。歌舞伎町の人々としては、他に「寂寥」というバーのオネエ言葉で話すオシン、アサヒが自分のミューズと話す小説家のユキ、そしてアサヒが寂しいからと手をつないできて二人で歩いているときにいきなり由嘉里が飛び蹴りを食わせられるヨリちゃんというアサヒの客など楽しい人たちが登場します。

そして由嘉里は次第に自己規定していた社会規範から解き放たれていきます。

ライさんの死にたみ半減プロジェクト

「死にたみ」という言葉が使われていることを初めて知りました。「死にたい」という気持ちを「痛み」という言葉のように名詞化して客体化する言葉のようです。

このあたりまで小説の約半分、後は死ぬことが自然というライに生きる希望をもたせようとする由嘉里の行動が描かれます。

由嘉里はアサヒに「ライさんの死にたみ半減プロジェクト」への参加を求ますが、ダサぁ〜い!と一蹴されます。しかし、いろいろあって、アサヒを大阪へのM・I・M(ミート・イズ・マイン)2.5次元公演に同行させることで無理やりそのプロジェクトを実行します。

由嘉里はFacebookの情報を頼りにライさんの今の状況が過去の恋愛によるものではないかと推察し、その相手鵠沼藤治(なんて難しい漢字を使うのだ?!(笑))を訪ねることにし、それにアサヒを同行させるのです。一方アサヒが由嘉里に同行したことにはアサヒなりの理由があり、それは奥さんから離婚してくれと言われているために少し時間を置きたいということです。

そして、二人は鵠沼(くげぬま)の実家を訪ねます。しかし本人に会うことは叶いません。藤治は精神科に入院しているのです。その原因がライとのことにあるかどうかも、なぜ藤治が精神を病んだかもわからないまま二人は大阪を後にします。

ライは「死」の概念…

由嘉里が東京に戻りますとライは姿を消しています。書き置きには

来月末日にこのマンション引き払うことになったから、退去の立ち会いとここにあるものの処分をお願いしていいい? 約束の三百万置いていくから費用はここから出して

(174p)

と残されています。

アサヒにLINEしますと、アサヒは刺されたと返してきます(笑)。何ごと? と思いますが、刺したのは由嘉里を飛び蹴りした女の彼氏とのことです。命には別状はなく、また、アサヒは離婚されたようです。一緒に病院を訪ねたオシンに由嘉里がライがいなくなったことを言いますと、オシンは「私たちの街では、いつも人が入れ替わっていくのよ」と答えます。

鵠沼藤治から電話が入ります。ライの行き先に心当たりはないと言い、ライの居場所がわかったら会う気はあるかの質問にはきっぱりと「ありません」と答え、そして由嘉里の「ライさんにとって恋愛って、何だったと思いますか?」との質問に、

実験だったんじゃないかと思います。いろんなことを本気でやって、自分がこの世に存在する理由を見出そうとしていた。色々なことを試して、試すたびこの世に生きる価値がないことに気づいていく。そういういくつも経てきた実験のうちの一つだったんじゃないかと

(222p)

と答えます。

んー…、金原さんの現在の言葉かもしれません。

由嘉里は、焼肉パーティーの席で、アサヒ、オシン、ユキを前にして

もともと、二・五次元みたいな人でした。何を考えているのかよく分からなくて、すぐそこにいてもそこにいる感じがあんまりしなくて、ふわふわしてて、ライさんを見てる時、テレビを見てるみたいだったし、ライさんと話してる時も、テレビの中の人と話してるみたいだった。出会った瞬間から憧れの人でした。彼女の世界線に生きたいって、ずっと願ってました

(226p)

と語り、「会いたい」と涙を流すのです。

金原さんは小説の中で頻繁に(そうでもないか…)「概念」という言葉を使います。概念だけではなく、あまり口語体では使わない熟語が、由嘉里の心の声である地の文にはたくさん使われています。また、会話シーンでありながら、いつの間にか地の文になったかのように2、3ページ改行もなく続いたりします。その点では小説の完成度としてはさほどでもありませんが、その小説の後ろに著者本人がいるように感じられます。

で、その「概念」ですが、ライという人物はその人物像がほとんど描かれません。由嘉里自身も言っていたと思いますが、ライは「概念」なんだろうと思います。何の概念かと言いますと「死」の概念です。

おそらく金原ひとみさんには常に「死」という概念が身近にあるのではないかと思います。もちろんそれは即「死にたい」に結びつくものではないだろうという意味においてです。