高瀬隼子著『水たまりで息をする』感想・レビュー・書評・ネタバレ

おいしいごはんが食べられますように』で昨年2022年上半期の芥川賞を受賞した高瀬隼子さんの一作前の小説です。この作品も芥川賞の候補になっており、むしろこれで受賞すべきだったのはないかと思うくらい面白いです。

夫婦間サスペンス…?

ある日夫が風呂に入らなくなり、それが1週間続き、ひと月続き、そしてまったく入らなくなるという、その夫を妻の側から描いている小説です。

で、夫婦間はどうなるのか? といったサスペンス(笑)風に進むのかと思いましたらまったく違います。妻である衣津実はラストシーンを除いてほぼ心やさしき傍観者です。じゃあ何が書かれているかといいますと、夫のその行動は、東京での生活ということに象徴される現代社会の息苦しさからの逃亡であり、それを見続ける衣津実は、夫の行動を契機にして田舎で育った自らの過去に思いを馳せつつ…ん? そこまでで終わっていますね。

確かに着想そのものは芥川賞受賞作の『おいしいごはんが食べられますように』よりも面白いのですが、このあたりの煮えきらなさと、やはりよくよく考えてみますと特に前半など冗長なところもありますので、そうしたところからもう一作みてみようということだったのかもしれません。

ままごとみたいな夫婦…?

衣津実は自分たち夫婦を「ままごとみたいな夫婦」と表現します。後半になりますと夫の母親が夫の会社からの電話を受けて息子の異変を感じて衣津実夫婦のもとにやってくるわけですが、その義母からそう見られているだろうとの自虐的な意味合いからのものです。

衣津実の感覚としては、義母は社会の価値観の象徴のようなもので、夫婦ともに働き、夜の食事はともに自分で弁当を買ってすますようなお互いあまり干渉しない関係が責められているように感じているということです。実際、夫が風呂に入っていないことに気づくのも2、3日同じバスタオルが掛かっていることからです。

衣津実がそのことを尋ねますと、夫は「風呂に入らないことにした」と答えるだけです。衣津実もなぜ? との言葉を飲み込み、35年間風呂に入り続けてきたのだから数日入らないくらいいいかとそれ以上尋ねません。ただ、そのわけは衣津実の回想(というか思い出したということ…)で明らかにされます。

ひと月ほど前のこと、夫が前髪からシャツにかけてぐっしょり濡れた格好で帰ってきたことがあります。尋ねますと、飲み会で後輩に水を掛けられたと言い、そのわけは、その後輩は上司からビールを掛けられ、本当は上司に掛け返すところを夫に掛けてきたというのです。

その時衣津実はなぜ?と尋ねたわけではなく、夫は仕事に疲れている状態であり、営業成績もおそらく芳しくなく後輩からも舐められているということなんだろうと、自らそう理解したということです。

ままごとみたいであるかどうか置くとしても、夫婦間で本音で話し合うことも、その本音を探り合うようなことも、また相手のことを慮ってしまうということでもなく、どちらかといいますと相手のことに深入りするのが怖いから(そんなことは言っていないが…)自分の考えの中で完結させてしまうような関係の夫婦です。

夫はカルキ臭いし、かゆいと言う…

夫は水道水はカルキ臭いし、かゆく感じると言い、それ以後風呂どころかシャワーも浴びれなくなります。衣津実は特に責めるわけでもなく、せめてペットボトルのミネラルウォーターで洗わない? と勧めたりしますが、それも夫は寒いと言って自ら進んでそうすることもありません。

そしてある日、予想しない雨の日にずぶ濡れになったことからこの手があったかと雨の日の夜には必ずシャツと短パンで外へ出ていくようになります。

一般的価値観で言えば、すでに心を病んでいるといえます。もちろん衣津実にもそうした考えが頭に浮かび精神科病院を検索したりはしますが、それ以上行動することはありません。代わりに衣津実の頭には幼い頃の田舎での思い出が浮かび、大雨による増水後に河川敷の水たまりに残された魚を台風ちゃんと名付けて飼っていたことに思いを巡らせるようになります。その魚はなぜか水道水の水でも生き続けたと言います。

臭いにしても当然体臭がきつくなるわけですが、時々臭いがきついと言いながらも取り立てて衣津実が避けるような記述はありません。

というあたりまでが前半で、考えてみれば、やはりあまり展開もなく長い印象ではあります。

夫の母親から電話が入ります。このあたりから展開も早くなり面白くなってきます。義母は会社から電話があったからと言い、衣津実を責めるように研志さんは大丈夫?を繰り返し、その日訪ねてきます。当然臭いでわかるわけですが、本人に何を言うわけでもなく素知らぬ振りで帰り、その後も妻である衣津実のせいであるかのように責口調で電話をしてきます。

職場から母親に電話が入ったことについては夫が自分に心配をかけたくなかったんだろうと衣津実は考えたりします。これが示す通り衣津実と夫の間では本音でぶつかり合うような会話はありません。

都会からの脱出

ある日、テレビで田舎の映像を見たことから、夫が川で泳ぎたいと言い出し、衣津実の田舎に帰省することになります。川で泳ぐ夫は気持ちいい!と生き返ったようです。そして、翌週からは週末にはひとりで衣津実の田舎に行くようになります。

当然予想されることですが、夫は会社を辞めて田舎で暮らすと言います。衣津実の田舎には祖母が暮らしていた空き家がありのでそこで暮らすというのです。

衣津実も夫についていくことにします。と言いますか、衣津実にも東京の生活がしっくり来ていないとの思いがありますので衣津実自身の選択でもあります。ただ、いずれにしもこの小説の衣津実は夫の観察者という位置づけですので衣津実自身の気持ちの記述は多くありません。

衣津実は田舎の市役所で契約社員として働くことになります。夫は毎日のように川に泳ぎに行きます。そして、豪雨の日、ダムの放流があり、夫が川から戻ってくることはありません。

三日後、衣津実は川原がみえる程度に落ち着いた川におり、砂地の水たまりに取り残された一匹の魚をみつけます。水に手を入れた衣津実は「ぬくいわ」「ここにおったら死んでしまうね」とつぶやき、魚を家に持って帰ろうとします。そしてまた、帰ったら風呂に入ろうと思うのです。

幼い頃飼っていた台風ちゃんに重ね合わされています。そしてまた、夫にも。

こうして思い返してみますと、着想にはインパクトがありとても面白い小説なんですが、着地点がはっきりせず、何となく置き去りにされたような感覚にもなります。そう考えてきますと、やはり面白さとともに明快さも持つ『おいしいごはんが食べられますように』の方が一段優れた作品なのかも知れません。