濱口桂一郎著『働く女子の運命』

働く女子の運命 (文春新書)

働く女子の運命 (文春新書)

 

上の画像にあるジェンダーギャップ指数101位とあるのは2015年のことで、最新の2018年版では110位と下がっており、その間の2016年は111位、2017年は114位と、政府の「女性が輝く世界」などというスローガンとは裏腹に、社会における女性の地位は下位を低迷しているというのが現状です。

ちなみにこのジェンダーギャップ指数は、

経済、教育、健康、政治の4つの分野のデータから作成され、0が完全不平等、1が完全平等を意味しています。2018年の日本の総合スコアは0.662、順位は149か国中110位(前年は144か国中114位)でした。

各分野におけるスコアと順位は、次のとおりです。

経済分野 : 0.595(117位)
教育分野 : 0.994(65位)
健康分野 : 0.979(41位)
政治分野 : 0.081(125位)

内閣府男女共同参画局

というもので、見てのとおり、経済と政治がむちゃくちゃ低いです。政治については、男女比も問題ですが、それ以前にそもそも魅力的じゃないということありますのでこの際置いておいて、経済分野についてもう少し細かく小項目ごとに全体の平均値と比較したグラフがハフポストにありましたので見てみます。

「日本は男女平等が進んでいない」 | ハフポスト

下からいきますと、「労働参加率」にはパートやアルバイトも含まれますから、順位は低いのですが平均値は超えています。

下から二番目の「同一労働での男女賃金格差」、そもそも日本は同一労働条件が整っていない環境ですので、これは単純な男女賃金格差とは意味が違います。

で、とにかくひどいのが「管理職ポジションに就いている男女の人数の差(管理職の男女比)」、これも同じように、日本の場合、男女が同一労働につける環境が整っていませんので必然的に管理職につく女性が少なくなってしまうということです。

で、濵田桂一郎著『働く女子の運命』ですが、その点、一向に進まない(労働における)男女平等について、ああなるほどと目から鱗のような話でした。

職務給と生活給

欧米社会では職務を遂行する労働に対して給料が支払われる職務給であるのに対して、日本では生活給という考え方、やや極端な言い方をすると女房子どもを養うために必要な賃金を支払う賃金体系をとっているために、そもそも男女では歩むコースが違うということです。

もちろん現在では働き方自体も多様化してきていますので業種によって異なるケースもあるのでしょうが、毎年春闘で賃上げが話題になるのはこの賃金体系に関してです。

日本の雇用システム

なぜそうした世界的にみれば特異な賃金体系をとることになったかは日本型雇用システムにあるといいます。

欧米社会では、企業の中の労働をその種類ごとに職務(ジョブ)として切り出し、その各職務を遂行できる技能(スキル)のある労働者をはめ込みます。(略)採用とは基本的にすべて(新たに職務を設ける場合も含めて)欠員補充です。(略)スキルがあるのが採用の条件ですから、そのジョブのそのスキルに対応する賃金がはじめから払われます。

著者はこれを「ジョブ型社会」と呼んでいます。

これに対して日本社会では、企業とはそこに人をはめ込むべき職務の束ではなく、社員(会社のメンバー)と呼ばれる人の束だと考えられています。この「社員」は、(略)さまざまな職務を企業の命令に従って遂行することを前提に、(略)新卒一括採用で「入社」させます。(略)仕事をしながらスキルを身につける、これが日本流のオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)です。こうして勤続とともにいろんな仕事をこなせるようになるので、それに応じて賃金も上がっていくことになります。 

これを「メンバーシップ型社会」と呼んでいます。

こうした日本型雇用システムでは、定年まで企業に忠誠心を持って働くこと、つまり長時間労働や転勤を受け入れるが前提になり、家事育児が女性の仕事であるかのような社会通念のもとでは、女性はその枠組から外されてしまうことになります。

日本型雇用システムが定着した経緯

戦前から戦後

左が戦前で右が戦後ですが、ほとんど変わりませんね。戦後の女子事務員の供給先として「短大卒」というのがありますが、最近は四年制に変更している大学が多くなりましたが、二年制の短期大学です。

上坂冬子著『BG学ノート』から(だと思う)、某銀行の女子行員の入行式での人事担当重役の挨拶が引用されています。

何年かたってここにいらっしゃるお嬢さんがたが、めでたく御嫁入りの日には、銀行としては、心から前途をお祝いして、御退行ねがうということを今からお約束しておきます。 

実際に、就業規則や個別の労働契約で結婚退職制や女子若年定年制というものが存在していたのです。 

生活給思想の出発点

最初にまとまった形で生活給思想を提唱したのは、1922年に呉海軍工廠の伍堂卓雄氏が発表した『職工給与標準制定の要』だそうです。その内容を著者がまとめています。

彼の主張を一言でいうと、従来の賃金が労働力の需給関係によって決まり、生活費の要素が考慮されなかったことを、労働者の思想悪化(=共産主義)の原因として批判し、年令とともに賃金が上昇する仕組みが望ましいとしています。家族を扶養する必要のない若年期には、過度な高給を与えても酒食に徒費するだけで本人のためにもならないとし、逆に家族を扶養する壮年期以後には、家族を扶養するのに十分な額の賃金を払うようにするべきだというのです。

これには当時の社会情勢が影響しています。1921年大日本労働総同盟が階級闘争を掲げ、また1922年には日本共産党が結成されています。

ただ、これがすぐに実現したわけではなく、日本にも欧米のような職務給にすべきとの考えもあったようです。ところが世の中が戦時体制に向かう中で企業間の労働移動が禁止され、終身雇用が強制されることになり、家族扶養の生活給が定着していったとのことです。「皇国の産業戦士」ということです。

戦後賃金体系の原型、電産型賃金体系

電産型賃金体系とは、1946年10月に日本電気産業労働組合協議会、後の電力労連が、後に地域ごとの電力会社に再編される日本発送電及び各地域の配電会社との間で勝ち取った賃金体系で、その後多くの組合に受け入れられたものです。実に生活保障給が7割近くを占めています。

この賃金体系は世界労働組合連盟からは「同一労働同一賃金」の原則から批判されていたそうです。

その後も、政府や経営側は職務給導入を求めたのですが、労働側は「同一労働同一賃金」を唱えながらも実際は生活給を維持しようとしたわけです。

日本型雇用システムの優位性

労働側が生活給に固執した理由は何でしょう?

その答えは書かれていませんが、明治以降の家族主義や男性優位思想が左派と言われていた労働側にも浸透していたということでしょうか。実際、今や連合なんて保守の典型みたいなものです。

それはともかく、1980年以降の日本経済の好調があたかも日本型雇用システムの優位性にあるかのような錯覚を生み出し、ますます労働環境の男女平等はねじれていきます。

総合職と一般職

1985年、男女雇用機会均等法制定。

この法律に対応するように考えられたのが総合職と一般職というコース別雇用管理です。要はそれまで男性がやっていた基幹的な業務を総合職と称して女性にも門戸を開くというもので、それに対して一般職というのはそれまで女性に割り振られてきた補助的業務ということです。

女性でも総合職を選べるという意味で男女雇用機会は平等になるという考え方です。ただ、賃金体系が生活給ですので、女性は、女房の役割を担いながら女房子どもを養う業務をこなさなくてはならなくなります。

家事育児は女性の仕事という社会通念のもとで総合職を選択する女性の負担は如何ばかりかということです。ましてや総合職を選択する女性は、一般職の女性との軋轢に悩まされることになります。

ワークライフバランス

要は仕事と生活のバランスをとって働く、仕事と生活を両立させるということですが、これを日本的雇用システムに当てはめますととんでもない姿まで浮かんできてしまいます。つまり、「夫はワーク、妻はライフ」、単位が個人ではなく家庭ということになってしまうということです。

結局、生活給という賃金体系をとるかぎり、同一労働同一賃金は女性へのしわ寄せを前提にしてしか成り立たないということになってしまいます。

考えてみれば、こんなこと、労働行政に携わる専門家たちにはあたり前のこととしてわかっていることでしょうから、どう考えても「女性が輝く社会」などというスローガンは建前だけということです。

ましてやますます保守化していく日本社会、出口が見えないどころか、自ら塞いでいるようなものです。

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)